ニスタル(Nystul)は夢を見ていた。隕石が降る夢だった。
事実では無かった。記憶が呼び覚まされた物でもなかった。
しかし、昔から時折彼を悩ませる、それはおきまりの夢だった。
無数の燃えさかる岩石が降り注ぐ中に、水晶の破片が見えた。
その破片は輝きを放ちながら、ニスタルにめがけてまっすぐに墜ちて来る。
破片はニスタルの胸に突き刺さり、ニスタルは目を覚ました。
「……!」
ニスタルはベッドから身をよじる様に転げ落ちた。
「ニスタル様……何かご用命はおありでしょうか。」
ドア越しに控えめな声で衛兵が問いかけた。
「いや、大丈夫じゃ。何でもない。」
ニスタルは立ち上がり、窓に手をかけた。月の光も無い、静かな夜だった。
ニスタルの耳には、心臓の鼓動だけが大きく鳴っていた。
胸に破片の衝撃が残っている錯覚を覚えた。
「破片か……」
あのモンデイン(Mondain)がソーサリアを支配するため操った、不死の宝珠と呼ばれた水晶が破壊され、破片となってここロード・ブリティッシュ城へ持ち帰られてから、既に20年以上が経っていた。それら破片にはそれぞれ小さなソーサリアが存在し、破片の中では我々が暮らすように、人々が日々の営みを送っていた。ソーサリアの有り様は破片によって異なり、ある破片は終わり無き闘争が続き、世界は邪悪で、過酷な運命に支配されていた。ニスタルは、破片が相互に影響しあう事を恐れ、世界の果ての四隅へと持ち去り、破片同士を遠ざける事を依頼した。そして城には、最も過酷な運命の下にある破片がトロフィーの保管部屋に安置されたのだ。
− 破片を集めておく事を恐れたが、それを破壊する事はできなかった。それがどの様な結果を生んだか……−
不意に、空に光る物が見えた。流れ星だった。ニスタ
ルに夢の中で受けた破片の傷みが呼び起こされた。その直後、ニスタ
ルに向け、その隕石がまっすぐに迫ってきた。何が起こったのか分らず、完全に混乱していた。しかし、ニスタ
ルが考えるよりも前に、彼の口からは力の言葉が発せられていた。一瞬にしてニスタ
ルは、魔法の壁を作り出していた。甲高い衝撃音が聞こえた。
− 防いだのか?! −
ニスタルは混乱しながらも、最後まで隕石から目を離さなかった。そして混乱は一層強まった。その隕石は、水晶の破片ではなかったか?!魔法の壁が消えた時には、隕石の痕跡も消えていた。窓にも、窓の下の地面にも、それらしい形跡は全くなかった。空を見れば、流れ星が一筋、東の地平線へ消えていく所だった。ニスタルは大きく息をついた。
「やれやれ、まだ寝ぼけているか、私もそろそろ耄碌がまわったか……」
振り返り、ベッドに戻ろうとするニスタルに、先程の甲高い衝撃音が聞こえてきた。
落ち着きを取り戻したニスタルには、それがハルバードの斬撃が発する音である事がわかった。
「Rel Por!」
ニスタルは窓から飛び出していた。それはトロフィーの保管部屋の方から聞こえていた。衛兵のガリー(Gally)はハルバードを構え、戦闘姿勢をとっていた。ガリーに向かって、一人のローブ姿の男がダガーを構えていた。その姿はローブに隠されているが、袖もとから見える引き締まった腕は、必殺の一撃がある事を示していた。ローブの男が一歩前に踏み出した時、二人の間にニスタルが現れた。ニスタルは既に攻撃魔法の詠唱に入っていたが、ローブの男は窓の外へと消えていた。ガリーは戦闘態勢を解き、説明を始めた。
「見回りで通りかかった時に、ちょうど進入を果たした様でした。物音は全くありませんでした。」
ガリーは息を整えようと苦労していた。
「私が攻撃した時にはそのトロフィーの前に立っていました。」
ガリーの指さした物は、一片の水晶だった。元はそこに絵が飾られており、取り外された後に水晶の破片が置かれていた。絵の置かれていた台座には、プレートが打ち付けられており、「SEIGE PERILOUS」と刻印されていた。
「世界の果て、ですか先生。」
ロウェル(Lowell)はニスタルの意を探る様に師の目を見つめた。朝早く呼ばれた事もあり、少し頭がはっきりしなかったが、尋常ではない事態である事はニスタルの表情から容易に判断がついた。
「ご命令とあらばスティジアン・アビスにでも参りますが、どの様な役目でありましょうか。」
ニスタルは少し考え込んだが、二人の間にある台座のトロフィーにかかった布を取り、指さした。
そこには一つの水晶の破片が安置されていた。「SIEGE PERILOUS」と書かれたプレートの前に置かれた、ロード・ブリティッシュ城に唯一残されたその破片の内部には、我々の世界のそれと全く同じ、ソーサリアが浮かんでいた。
ロウェルは最初ぼんやりとその水晶の破片を眺めていたが、その中に浮かぶ物が何か分った時には、眠気はどこかに霧散していた。ニスタルもまた、トロフィーを前に複雑な心境だった。水晶には誰にも予想できない光景が映っている。だが、自分が既に破壊していれば、誰にも知られる事なく、賊が狙う事もなかった。この若者に運命を左右する様な使命を課す事も無かっただろう。
「先生、これは……」
「左様。よく見るがいい」
ニスタルは珍しい形のスコープを差し出した。それはニスタルが魔法を付与した、特殊なスパイグラスだった。ロウェルはそのスコープで破片をのぞき込んだ。ロウェルは息をのんだ。そこはブリタニアだったのだ。ブリテインの街があり、人々が銀行の前を往来していた。何から何まで全くブリテインそのものだった。一つだけ異なる事は、そこに見える人々は互いに争い、殺し合いを繰り広げていた。
「不死の宝珠により、この世を支配せんとしたモンデインの所業じゃ」
ニスタルは語った。ロウェルはまだ破片の中のブリタニアに魅入っていたが、不意に、一人の少女が空を見上げた。ロウェルはその少女と目があった様に感じ、あわててスコープから目を離した。
「破片の中の世界が、邪悪な気配を帯びているのは分っていた。じゃが、そこに浮かぶソーサリアを破壊する事が、私にはためらわれた。しかし、日々破片の中の世界は厳しさを増している。そして昨日の賊の進入じゃ。悪意ある者の手に渡らせる訳には断じていかん。」
ロウェルは驚いてはいたが、冷静にニスタルの説明に聞き入っていた。
「本来は私自ら出向きたい所なのじゃが」
ニスタルは深い皺が刻まれた目じりで、部屋のトロフィーを一瞥した。
「賊に狙われた以上、今はこの城を空ける訳にもいかん。」
「この未熟者に勤まる役目でありましょうか」
そう言いつつも、ロウェルに狼狽した様子は無かった。
「複雑な事ではないのじゃがな。彼の地へ辿り着き、破片を持ち帰って欲しい。もし持ち帰る事ができない様なら、破壊するのだ。」
全てが今初めて聞いた事であり、相当の覚悟が必要な役目でもあった。だが、ロウェルは一切迷わなかった。
「かしこまりました、先生。必ず目的地へ辿り着き、使命を果たして参ります。」
ロウェルの力強い言葉をニスタルは意外に思い、返って不機嫌になったようだった。ロウェルの肩に手を置いて言った。
「ロウェル。これは間違いなく最も困難な使命の一つじゃ。そこへ辿り付くには魔法は使えぬ。その場所を示唆する何物も残す訳にはいかなかった。このワンドが……」
ニスタルは一本のワンドを取り出した。ニスタルが魔力を封じ込めた物だとロウェルにはわかった。
「道を示すだろう。しかしそれは果てしない行程じゃ。だからこそお前を選んだ。私の弟子の内ではもちろん、こと意志を貫く力において、ブリテインでお前より強き者を私は知らぬ。ただ……」
ただ二人の英雄を除いては。ニスタルはその言葉は口にしなかった。
弟子は珍しく若者らしい笑顔を見せた。
「ご安心下さい、ニスタル様。私は何も知らない愚か者ですが、使命をあきらめる事もまた知りません。」
不意にニスタルにも笑みが浮かんだ。破片の秘密を日々両肩に背負い、緊張の日々を過ごすニスタルにとって、この若い弟子の快活さは確かに救いだった。
「このルーンの書は私の執務室へムーンゲートを開く事が出来る。危急な事態に見舞われた時は、これを開くがいい。」
ニスタルは皮表紙の呪文書を書棚から取り出した。ロウェルは受け取りつつ答えた。
「これで逃げ帰る事はありません。この使命こそ私の生涯を必要とする物かも知れませんから。」
ニスタルはフンッと鼻を鳴らした。
「ヴィジョンとやらか。わしは否定も肯定もせんがな。お前を導くのは魔法の力であり、徳の意志であるのじゃ。肝に銘じよ。」
ロウェルはうやうやしく礼をし、次の瞬間姿を消していた。
「お前の『ヴィジョン』もどうやら大したあてにはならないな、ええ?」
ウィルソン(Wilthon)は前に出たがらない足を腰で引っ張りながら言った。
「俺たちがブリテインを発ってどれくらいになるやら。偉大なるレンジャー、ウィルソン。人知れず秘境の藻屑と消えるか……」
ロウェルはワンドを振り回して言った。
「ああ。世界の果てがラマの足で3日の距離ではなくて、私も驚いているよ。」
ウィルソンは口元を歪ませるだけで毒づいて見せた。
「魔術は私の全生涯を要求しているのだ。ヴィジョンはその現れなのだ。」
真顔に戻ってロウェルは言った。彼は昔落雷に遭った事があった。かろうじて一命をとりとめたが、彼が言うには、その時に幻影を、彼の言う『ヴィジョン』を見たと言い張っていた。
− 目の前に光が見え、その光をつかもうとするように、自分の手が見える。底の知れない、幻想的な光だった。どこまでも吸い込まれるかのような輝きだった。光はまるで染みこむ様に、彼の手を染めていった。輝きは増していき、最後にはロウェルをも吸い込んでいく。 −
彼は、それは何物かが自分に課した使命であると考えるようになった。それ以来彼は、何かを見てはヴィジョンだと叫び、一日中町中を歩き回ったり、街中の宝石を買いあさったりして、失笑を買った物だった。彼にとっては明確に思い出せる光景であり、疑う余地の無い物だった。ニスタ
ルに師事し、魔法を使いこなすようになってからは、人々は彼に畏怖と尊敬を抱く様になった。だが、真顔でヴィジョンの事を話す彼に、人ならぬ物を見るような、嫌悪の目もまた向けられていた。
そしてSIEGE PERILOUSの破片にあの光景を見て、ロウェルはヴィジョンの具現化が近いことを確信していた。
「お前こそ何故この探索に同行したんだ?友人の私の頼みとはいえ。」
「はっ!人を辺境でのたれ死にさせる男を、友とは普通呼ばんのだ!」
「いくらお前が昔からの友人で、お前が俺に密かな想いを寄せていると言ってもな、スタ
ーシャ(Stacia)があれほど強くせがまなければ、誰が来る物か」
「スターシャがか?」
ロウェルの声はちょっとうわずった。
「ブリタニアで最も不幸な存在というのはな、見る目の無い妹を持った兄だ!」
「心から同情させて頂こう」
ロウェルはウィルソンにうやうやしく礼をした。ウィルソンも、礼の中にうやうやしさと憎しみを同時に表現すると言う離れ業を見せた。
ロウェルはワンドを高く掲げた。ニスタルから預かったそのワンドは、日の光を受け輝いていた。はじめは光を反射しているだけだった。しかし、次第に金属の様な輝きを放つようになった。
その輝きは徐々に大きさを増し、今でははっきりと魔法効果をそこに認める事ができた。
無数の粒子が玉となり、無数の玉が帯となり、そこにはワンドに絡まる光の蛇が生まれていた。
頭をもたげた直後、蛇はまさしく光の速さで地平線に向かって飛び去った。しかし、地平線に消えるすんでの所で、蛇は地面へ突き刺さった。
ロウェルは慌ててフードをかき上げた。
「ウィルソン!」
「ウィルソン、見たか!蛇が地平線に消えなかった!」
「ああ……」
疲労からではなく、ウィルソンは驚きで、どんな感情も表に出す事を忘れてしまっていた。だが、それは確かにこの2年間の旅で、初めての事だった。
「俺達は……今世界の果てだウィルソン!」
「これが……破片か……」
ウィルソンは足下に埋められた、破片の一つを手に取った。破片を覗き込み、ウィルソンは目を見張った。
「ソーサリアだ……!」
「ニスタル様の言われた通りだ」
ロウェルも内心驚きを隠せなかった。聞いていた事とはいえ、破片の中にはまさしくソーサリアが浮かんでおり、その破片がそこかしこに散らばっている。
破片の形や大きさはそれぞれ異なっていた。ロウェルも一つの破片を見つけ、手に取った。だが、それは他の物と異なり、ソーサリアを映してはいなかった。
宝珠が破壊された時、それぞれの破片にソーサリアが映り込み、世界の均衡を破る原因となった。だが、のぞき込んでもその破片には何も無かった。そう言う物なのかとロウェルは考えた。全ての破片にソーサリアが生まれているのではないのだろうと。よくよく覗いてみれば、中にはぼんやりと光が宿っていた。ロウェルは目を見張った。それが何か、魔術に長けたロウェルにもまるで見当がつかなかった。だが、ヴィジョンが今まさに彼の前にあった。光は鈍く、彼の手は輝いていないが、確かに光の塊を彼の手は掴んでいた。
「ここが使命の場所、私の生涯の目的地なのか……?!」
誰かに問いかけるかの様に、ロウェルはつぶやいた。光を見つめている内に、ロウェルは何か底知れない不安をそれに感じた。まるで吸い込まれていくかの様な感覚に囚われた。ロウェルは頭を振り、破片から目を離して言った。
「とにかく、これからが本番だぞウィルソン。この破片全てを持ち帰るか、破壊しなければならないんだ。」
返事は無かった。ロウェルの体は硬直した。右の脇腹に焼けるような痛みが走った。ウィルソンが背後からゆっくりと、ロウェルの前に姿を現した。手には赤く染まったダガーがあった。ウィルソンは落ち着いて、またいつになく真面目な、諭す様な口調で言った。
「すまんロウェル。破片は壊さないんだ。俺はある方の指令で破片を探していた。お前のワンドがあれば、後は見つける事ができるだろうな。」
ウィルソンはロウェルの懐を探り、ワンドを見つけるとゆっくりと引き出した。
− よせ −
そう叫ぼうと思ったが、口からは血が吐き出された。ウィルソンは背を向けて破片の散らばる方へ歩いて行った。ロウェルの足から力が抜け、地面に膝をついた。目を落とすと、みぞおちのあたりにダガーの柄が見えていた。歩き去るウィルソンの手には、ニスタルのワンドが握られていた。
ウィルソンの前には、いくつもの破片が散らばっている。全ての破片の中にソーサリアが浮かんでいる。
「不死の宝珠よ……復活の日は近いぞ!」
破片を集めようと、ウィルソンはかがみ込んだ。かがみ込んだ直後、首のあたりを殴られた様な衝撃を受けた。
「すまんウィルソン」
ロウェルがウィルソンに後ろから覆い被さっていた。右手には破片が握られている。破片は半ばまでウィルソンの頸部に沈んでいた。
「友を殺すだけでなく……友に殺される事まで味わう事になったな……」
血を吐きながらロウェルは呟き、破片に体重を乗せた。さらに破片は沈み込んで行った。
ウィルソンは何か言おうとしたが、声はでなかった。首に開いた穴から破片を伝って漏れて行き、ウィルソンの口には何も届かなかった。睨もうとして振り向きかけ、ウィルソンはうつぶせのまま動かなくなった。突き刺さった、血塗られた破片は、ただ一つソーサリアの無いそれだった。赤いもやは輝きを増し、赤い閃光を発していると言うべきだった。
ロウェルはその場に座り込んだ。座った拍子に血がだいぶ口から流れた。ロウェルは懐から茶色い背表紙の呪文書を取り出した。もはや自分に持ち帰る時間は残されていないと分っていた。
ページをめくるのを止め、ふと手を見た。両手ともウィルソンの血で赤く染まっている。破片はウィルソンから抜け落ち、ロウェルの左手の中にあった。そして、その向こうには、今やソーサリアが浮かんでいた。
「これが使命か……」
両手の血が呪文書に滴った。
「これが……こんな物が私の目的地だというのか!」
呪文書が発動し、ロウェルの眼前に青いムーンゲートが出現した。
ある日、職務をこなしているニスタルに、衛兵がおかしな報告を入れてきた。部屋の前にムーンゲートが現れたと言うのだ。ニスタルに驚いた様子はなかった。
「そうか、人を近づけないで置いてくれ。だれもゲートには入れるな。」
ニスタルはためらいもせずゲートへ向かい、消えた。
そこは静かな場所だった。風の音も、小動物の声も聞こえない最果ての地だった。一人の男がうつぶせに倒れていた。そしてもう一人、ゲートで現れたニスタルの前に、座り込んだまま動く様子は無かった。ゲートをくぐった時から覚悟はできていたので、ニスタルは驚かなかった。ロウェルの前にかがみ込み、左手に握られた破片を拾い上げた。夢で受けた胸の傷がうずく様な錯覚が彼を襲った。ニスタルは魔法のスコープを取り出し、その破片を覗き込んだ。血で覆われたその破片の中に見た光景に、ニスタルは戦慄した。
「なんということだ……」
ほどなくしてニスタルは城に戻ってきた。衛兵は、ニスタルの左手に水晶の様な物が握られているのを見つけたが、ニスタルのいつにない張りつめた気配に、質問を発する事は出来なかった。ニスタルは何も語らず、執務室へ戻っていった。それ以来、ニスタルは前にも増して部屋に籠もるようになった。