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総合コメント |
Brandon Williamsからのコメント:UO の進化 |
2004年1月28日 |
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私の名前は、Brandon Willian。エレクトロニックアーツ/OSI の シニア UNIX 管理者です。過去 7 年間の大半を、ウルティマ オンライン制作環境と OSI 開発環境の構築とサポートに直接かかわってきたため、この OSI オフィスでは、ちょっとした古株ということになっています。UO がまだ「コンセプトゲームの雛型」として数ヶ月ももてば上出来だと思われていた頃から、驚くべき仮想世界へと変貌し、何百万もの熱心なプレイヤーを今日まで 6 年以上にわたり魅了し続けているのを、この目で見てきました。UO の進化は、まさしく語るに値する物語です。時間が許すなら、そして、ちょっとでも興味が沸いたなら、普段はわりと
無口なこのシスアドがそのお話をしようと思うので、気軽に耳を傾けてください。
私にとっても、「Multima」とコードネームが付けられた OSI の比較的小さなプロジェクトにとっても、1996 年は変革の時でした。だいたいこの時期に、プロジェクトのパブリック・ベータを開始する準備が整いつつあったからです。その当時はオペレーションチーム自体が正式に存在していなかったこともあって、私はまだそのメンバーというわけではなく、OSI ではパートタイムとして働いて、学校ではコンピュータサイエンスを専攻していました。かなりのゲーマーで、バイトだけれどゲーム開発の現場に近づく手段をやっきになって探してたことから、私は自分から志願して、大量に送られてくる Ultima Online へのベータ・テスターの申し込みを処理する作業を引き受けました。何も知らなかった私は、その結果、3 万通の手紙を開封し、志願者がベータ CD の送料として同封してくれた 2 ドルを抜き出して、単純なフラット
データベースに返送用の宛名を手動で入力するはめになりまた。UO のオープン・ベータプログラムに対する関心はときに圧倒的されるほどで、反響もすごいものがありました。この頃に、OSIのローカル IT スタッフである Mark Rizzo がそれまでの日常業務から外れて、UO をサポートするためのインフラ整備に集中するようになります。
当初のプランは、UO のサービス全体を、「パワフル」なデュアル Pentium Pro 200MHz と 128MB メモリのサーバ群で運営し、しかも、それらすべてを、開発スタジオ内の「ハイテク」化されたオフィス兼サーバルームで管理しようというものでした!(冗談めいた書き方を許してください。当時はそういう感覚だったのです。UO のサービスを運営するのに、当初はその程度で大丈夫だと
考えていたことが、おかしく思えます。)パブリック・ベータが始まり、やるべき仕事の量が膨大になると、Rizzo は、補助者レベルのシスアドのポジションを設けて、UO の立ち上げとサポートを手伝う人物が欲しいという主張を通せるようになりました。今から思うと、私がその役割をフルタイムで担える立場に就けたことは、ほんとうに幸運だったと思います。Rizzo はすばらしい先生でした。彼と一緒に働くことで、私はシステム管理の多くの側面を学びました。そして彼とともに、オンラインサービスを立ち上げて運営することの困難と苦労を見出すことにもなりました。当時の状況は、今とは相当に異なっていました。最先端の x86 サーバプラットフォームを供給するハードウェアベンダーは、まだ市場に溢れてはいなかったので、カスタマイズしたフルタワーケースのサーバを自分たちで組みたてざるを得ませんでした。ISP も黎明期にあり、現在ならコロケーション・センターで普通にやってもらえるような事柄も、UO の立ち上げ準備をしていた頃は、まだ規格を策定している段階でしかありませんでした。UO にとって幸運だったのは、EA の偉い人が、UO に対するものすごい関心の高まりに気付き、先見の明で、適切な立ち上げに必要とされる豊富な資金の提供とプロジェクトサポートを行ってくれたことでした。
開発が最終局面に入ったころ、x86 プラットフォームではゲームを効率よくサポートしていくことができないこと、そして単一のオンラインワールドでは UO カスタマーのすべてをサポートすることは不可能になるであろうことが誰の目にもはっきりしてきます。「シャード」のアイディアが生まれたのは、そのときでした。物語を組みたててこの要求を満たすようにしたのですが、それが今日我々が知るところの「魔術師モンデイン」と砕け散った宝石が無数のブリタニア並行世界を作り出したという物語です。
UO 立ち上げに伴う熱狂的な最初の数ヶ月のうちに、Pacific, Baja, Napa Vallay, Sonoma シャードがアメリカ西海岸にオープンし、Great Lakes, Lake Superior が中部のシカゴに設置され、Chesapeake, Atlantic, Catskills シャードが東海岸に設置されます。これらすべてのシャードは、よりパワフルな(とはいえ、より高価な)Sun Sparc サーバ上で動いていました。
UO がどんどん成長するにつれ、EA と UO サポートチームもすばやくそれに対処する必要が生じました。オペレーションチームが業界で最も有能な人たちを募集しはじめるのに、それほど時間はかかりませんでした。まもなく、ログインと課金システムを専門とするソフトウェアエンジニア、インターネットルーティングに
詳しいネットワーク設計者、当時最も印象的なダイナミックウェブサイトのひとつに精通したウェブ管理者、そしてもちろん、Ultima Online に必要なより強固なプラットフォームをサポートするための Unix 管理者たちも、オペレーションチームに加わるようになります。
ほどなく、EA は、海外マーケットの開拓もはじめました。日本やヨーロッパ、韓国、台湾、オーストラリアからの UO への関心は、当時もそして今日においても、すごいものがあります。今では、アメリカ以外のカスタマーの総数が、アクティブプレイヤーの約半数を占めています。サービスの全期間を通じて、オペレーションチームは、世界各地に多くのシャードを追加してきました。そして、これまでに、いくつかの飛躍の時期といつくもの改良から UO も成長を遂げてきました。また、多くの有能なスタッフたちも、このゲームに大きな進歩をもたらしました。それは、分散バックアップを開発し、バックアップ時間を大幅に縮小した
プログラマであったり、このゲームのさまざまな段階でハードウェアのメジャーアップグレードを担当したネットワーク設計者だったりします。これまでの年月で、UO は、いったいどれだけの開発者やサポートスタッフを抱して、今日のサービスを作り上げてきたのかと思うと、ほんとうに驚きを禁じえません。
将来に目を向けると、オペレーションチームは、UO をサポートするインフラについて改良を加えるべき点が数多く存在することに気付いています。シャードクラッシュが過去の日になることは、我々のゴールです。ゲーム内のバックアップシステムを見直して、巻き戻りを劇的に減らすこと、 --そして、巻き戻りが不可避の場合でもそれが数秒以内に収まるようにすること-- は、これからの目標です。サーバプラットフォームとインターネット接続性を改善して、レイテンシーという言葉を忘れてしまえるようにすることは、オペレーティングチームが現在達成に向けて努力している理想です。オペレーションチームは、単独でこのすべてのゴールを達成することはできません。UO サポート体制内の他のチームや全体としてのインターネット環境も、このゴールの大きな鍵を握っています。でも、これらは共通のゴールであり、いつかきっと達成されるはずです。
以上が、私の物語です。(少なくとも、いま話せるのは、ここまでです。)話を聞いてくれて、ありがとう。そして、もっと大事なことだけれど、すばらしい Ultima Online の世界に変わらない関心を寄せてくれて、本当にありがとう。EA や OSI、そして UO を直接サポートするここにいる誰もが、献身的でほんとうに
クリエイティブなプレイヤーベースを持つことができて幸せであると感じています。そして、UO というオンライン世界の長期に渡る成功の一番の原因が、皆さんの貢献によるものであることを認識しています。そのことに、同僚も私も、心から感謝しています。楽しんでください。そして、大きな期待を持ちつづけて
ください。皆さんとともに、UO の 20 周年記念や、それ以降の記念日をも、お祝いできることを願っています。
Brandon Williams
Sr. Unix Administrator
Origin Systems
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