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エピローグ

投稿日:2002年6月3日


全シャード
夜明け光がユーの闇を洗い流す。古びた小屋が陽光に温められ、小さな軋み音を立てている。その向こう側には、かつてはがっちりと家を守っていた木の柵が、巨大生物の背骨の化石のように、列を乱し、一部分だけを見せて泥に埋まっていた。小屋自体は真っ直ぐに泥の中に沈みこんでいる。その形は、小さな生物が住む御殿のようだ。壁に貼りついたつる草は、この家をさらに深く泥の中に引きずり込もうとする骨ばった亡者の手に見えた。

ドーン(Dawn)は、人生の大半を過ごしてきた家の成れの果てを静かに見つめていた。両親を亡くした時の事は、まだ幼かったのでほとんど憶えていない。しかし、両親を失った時の悲しみは、深く心に刻み込まれている。すっかり変わり果ててはいるが、この場所にあった温かさと安らぎは、困惑した心の中に、今でも感じられる。おじいさんは、よく大きな焚き火をして、王様に仕えていた頃の冒険の話を聞かせてくれた。小屋の屋根は、どんな嵐の時でも、雨漏りひとつしなかった。庭で飼っていた羊は、オークを驚かせて追い払うのが上手だった。少なくとも、そうおじいさんは話してくれた。

彼女は、ジュカ(Juka)との戦争が終わったら、ここに帰ってきて普段の生活に戻ろうと決めていた。しかし、この小屋を修理して住めるようにするのは、かなり難しそうだ。

「お気の毒に。ここ、あなたのおうちだったんでしょ」背後から歩み寄りながらダーシャ(Dasha)が言った。

「ええ」ドーンの声は沈んでいた。彼女は身動きひとつしなかった。彼女の視線は、小屋のずっと向こうを見ているようだった。ダーシャは彼女の脇に立ち、家を観察した。

「私も家を失くしたわ」ダーシャは言った。「アドラナス(Adranath)とすべてのミーア(Meer)を救うために、私たちの故郷は、ずっと昔に消えて無くなったの。彼らは全員で大いなる眠りについて、夢の世界に移り住んだのよ。自分達の故郷はもうこの世に無い。でも、いつか新しい故郷が見つかる。そう納得できるようになるまでには、何百年も何千年もかかったわ」彼女はその場にしゃがみ込み、小さなキノコの群生を見つめた。「私は、時間を飛び越えて、ジュカと一緒にこの世界に連れてこらたの。だから、ほかのミーア達とは違って、故郷を失ったのは、私にはほんの数週間前の出来事なのよ」

ダーシャは立ち上がり、陽光の中を歩き始めた。「ジュカに破壊される前の私たちの国の森は、あなた方の世界のものとは比べようもないほど立派なものだったわ。見渡すかぎり梢が続く森の海。私は一番高い枝の上に立って、朝の風を体に浴びるのが好きだった。木の葉は優しい風に揺れて、太陽の光を反射させるの。まるで黄金のように輝いて。ご先祖様のお力が、世界を祝福して新しく生まれ変わらせているような、そんな感じを受けたものよ。その眺めほど感動的な光景を、私は見た事が無いわ。この世界はいつまでも決して変わらない。そんな大きな安心感を与えてくれる眺めだったわ」

ドーンは、泥に沈んだ家から目を離さず、悲しげに微笑んだ。「それに比べれば、私が失ったものなんて、大した事無いわね。小さな粗末な建物ひとつだけなんだから」

「たしかに」ダーシャな小屋を見つめながら言った。「大きさから言えば、あの大森林に比べて、この建物はずっと小さいし、単純なものかもしれないわ。この程度の建造物なら、建てようと思えば何日もかからないでしょう。新しい家は、いつでも手に入るわ」彼女はドーンに向き直った。「でも、あなたにとってのこの場所の意味は、私が森に対して持っていたものと同じよ。そうじゃなくて?」

ドーンはやっと小屋から目を離し、ダーシャの顔を見た。「これは……、私の全てだったの。私の家だったのよ」

「私たちは2人とも、自分の世界を失ったのね」

「ドーン!」アドラナスが近づきながら彼女に声をかけた。「すまない。すっかり待たせてしまって、ダーシャも、すまん。治療が効いた木の事を、もう一度確かめておきたくてな」

「それほど待ちませんでしたわ、アドラナス様」ドーンは自分の荷物の中に手を入れ、小さな袋を取り出した。「クレイニン(Clainin)から預かってきた植物の標本があります」

「ありがたい。よろしく伝えておいてくれ。それで、クレイニン君の研究の方は進んでいるのかね」

「何でもかんでも植物の標本を持ち込むものだから、彼の研究室では身動きが出来ないほどで」ドーンは答えた。「ずっと研究ばかりしているから、衛兵から食事をとるように注意されているぐらいです」

「よい結果が得られる事を願うばかりじゃ」アドラナスは、荒れ果てた光景を見回しながら、悲しそうな声で言った。「腐敗の呪文がこれほどの荒廃をもたらすとは、全く予測がつかなかった。この世界は、あまりにも長い間、強い悪気に冒されてきた。その中でもがき苦しんできた自然は、形が歪められて、腐敗を受け入れてしまう体質に変化してしまったのじゃ。出来る事なら、我等ミーア族は、もう一度、自然系魔法を勉強し直す必要がある。こんな恐ろしい事を、二度と起こさない為にな」

「あなたはジュカを止めようとしてくれたのです。ユーを救おうとなさった上での事です。アドラナス様」ドーンは言った。「誰もあなたを責めたりはしません。これからも、私達はずっと仲間です」

アドラナスは微笑んだ。「あなた方のような高潔で誠実な種族と同盟を組む事が出来て、ミーアは誇りに思っておりますぞ。さて、ワシはちょっと用事が……おや、なんじゃ。君達も感じるかね、この振動を」

ドーンとダーシャは互いに顔を見合わせて、首を横に振った。

「どんな振動ですか」ドーンが訊ねた。

「足元の地中で何かが低く唸っているような感じじゃ」アドラナスは足元を見た。「おそらく、大地が腐敗の影響から解放されて、安定に向かいつつあるのじゃろう。ともかく、ワシは行かねばならん。ドーン、いろいろとありがとう」

「私のほうこそ、ありがとうございました、アドラナス様」ドーンは答えた。

「ダーシャ、それじゃ、行こうか」アドラナスはダーシャに出発を促した。

「すぐに参りますわ、先生。その前に、もう少しドーンと話しておきたい事がありますので」ダーシャは言った。

「よかろう。それでは、またな、ドーン」アドラナスは微笑み、ムーンゲートの中へ歩いていった。

「さようなら」ドーンも別れの挨拶を贈った。

ダーシャは朝の光を浴びて、ゆっくりと歩きながら言った。「この短い時間で、みごとに腐敗を食い止めたあなた方の技術には、感心するばかりよ」

「危機を目の前にして、みんながひとつになれたからだわ」ドーンが答えた。

「それよ。さっきも言ったけど、私達はどちらも自分の世界を失った。もう二度と、あの世界は戻らないわ。だけど、あなた方が必死になってこの世界を救ったり腐敗を治療する姿を見ているうちに、私もここで、新しい自分の世界を発見出来るって思えるようになったの。きっと、あなたも」

ドーンはダーシャに微笑み、ミーア式握手だとドーンが気付き始めたあの方法で、2人は手を握り合った。2人は互いにさよならを言い、それぞれの道へ分かれていった。互いに、未来への確信を抱きながら。




エクソダス!

壁を震わさんばかりのブラックソンの怒号が部屋に響いた。ほとんど叫びに近い、喉が潰れるほどの大声で、彼はエクソダスを呼び出そうとした。ジュカと竜騎兵の撤退を知らされたブラックソンは、エクソダスから説明を聞く為に駆けつけたのだが、もうあの不気味な相棒の気配は無かった。

部屋の重い扉を押し開け、ケイバーが静かに入ってきた。ブラックソンは振り返り、そのジュカ戦士の巨体を大きな鋼鉄の爪で指差し、言った。「何処へ行っていた!撤退の理由を今すぐ説明しろ、この汚らしい豚野郎!エクソダスは何処だ。何故返事をせん!」

「存じません。ブラックソン閣下。自分はただ……命令に従ったまでで」ケイバーは、石のように固い表情の下で、ブラックソンが取り乱す姿にほくそ笑んでいた。

「命令に従っただと?エクソダスが貴様に命令したのか?はいはいと素直に聞き入れたわけではあるまいな。今すぐ説明しろ。これは命令だ、ケイバー!」ブラックソンの機械化されたほうの目玉が、激しい怒りにぎらぎらと光った。

ケイバーは体を硬直させて答えた。「ただ命令に従ったまでです」

「ケダモノの分際で、オレを怒らせたいのか!」ブラックソンは大きな鉄の爪を装着した腕を頭上に振り上げ、重厚な作戦用テーブルの上に力任せに振り下ろした。埃が舞い上がり、テーブルの破片が辺りに飛び散った。その瞬間、ブラックソンの顔から怒りの表情が消え、凍りついた。

ケイバーはブラックソンの表情を読み取ろうとしたが、人間の顔は見慣れていない為、よく判らなかった。顔の一部が機械化されている事も、表情をさらに読みにくくする一因になっていた。困った事になったのか、恐ろしい事でも思い出したのか、せいぜい苦しむがよい、とケイバーは願った。激しい怒りが、ブラックソンの機械の体に、何か仰天するようなものをもたらしたのだ。

「下がれ、今すぐだ!」ブラックソンは唸るように言った。

ケイバーはきびすを返すと、静かに部屋から退出し、後ろ手に扉を閉めた。扉が閉まるや、彼は表情を崩し、冷たい笑いを満面に浮かべた。
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