Curtis
Yamato

すでに日は沈み、村には静寂がおりていた。
スカラブレイの東にある、名も無い村。 周囲の家から灯火が消えた中にあって、私のいる村はずれの小屋だけが暖かいキャンドルの光を漏らしている。この小屋は村人の間では"執務室"と呼ばれており、長が様々な仕事をするための場所であった。
その室内にて、私は大量の書類に囲まれグラスを片手に座っている。
目の前に置いてあるのは、一枚の書類。
それを何度も読み返して、私はグラスに注がれているワインを飲み干し大きな溜息を吐いた。

「まったく、面倒なことだ」

目の前にある書類は、今回の選挙に立候補する者が、その意思を表明するためのものだった。村人はここに名前を書いた者の中から、過去五年の働きも含めて次の長にふさわしい者を選び、もっとも支持者を集めた者が長となるというしくみである。
現在、その書類に書かれている名前は二つ。私と、キース(Keith)だ。

「どうやらキースが本当に立候補するらしい」
その噂はすでに村中に広がり、話題を呼んでいた。
噂の発端は数日前。長選挙公示の日に、キースが私の演説中に乱入してきた事から始まる。
なんとあの男は、突然私のいた演台に上がるとこう宣言したのだ。
「俺を長にしておけば間違いは無い」と。

キースという男は昔から怪しい占いにこっており、その内容はじつに突飛で見境がない。
風で桶が飛ぶのを見て、この風が地上のすべてを吹き飛ばすとか。
また一切れのパンに付着したカビを見て、村に恐ろしい疫病が蔓延するとか。
一度「狼の群れが今しも村を襲おうとしている」と大声を張り上げた事もあったが、数日後、迷いネコの親子が3匹発見されただけに終わった。
彼に対する村人の意見は「変人」とほぼ一致している。
そんな男が立候補して、人々の心が穏やかであるはずがなかった。

「キースは本気みたいね」

昼。私の元を訪ねてきたナターシャ(Natasha)は、キースの名前が書かれた書類を見て言った。

「あの人は一体なにを考えているのか…」
「私に言われてもね」

あんな男の言動について説明を求められても、答えられるはずがない。
私がそう答えると、ナターシャは大きく溜息を吐いて「そうね…」と呟いた。
彼女も気苦労が多い事だろう。
別居中であるとはいえ、夫であるキースが言い触らす妄言に対応しなければならない上に、キースの前妻が生んだという風来坊、レオン(Leon)の事もある。そんな環境もあり、今はヒステリックな性格になってしまった彼女だが、昔は貴族然とした優雅で穏やかな性格だった。それを思うと、私は残念だとも思うし、同情せざるをえない。

「案ずる事は無いさ、ナターシャ。キースのヤツを選ぶ者など、いるはずがない」

そんな彼女に言えることは、この程度のことだ。
それでも、それを聞いたナターシャは「そうね…その通りだわ」と安堵した様子で帰っていった。

ワインをあおると目の前にある書類を横にやり、次の書類を手に取る。
既に私の悩みは、選挙後の公務をどうするかに移っていた。
「そう…案ずる必要などない」
公示日の様子を考えるとキースの行動をしばらく見張るべきなのだろうが、あのような男の言葉を信じるものはいなければ、長に選ぶ者もいない。他の立候補者は…いるはずがない。
何より、私には過去の実績というものがある。
誰が何を言おうと、この村はこの五年で劇的な発展を遂げさせたのだ。
私がこの選挙で落選する事など、あろうはずがない。