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兆し

投稿日:2002年5月10日


全シャード
「クレイニン!後ろよ!」

クレイニン(Clainin)が身を屈めるやその頭上を飛び越えたドーン(Dawn)は、その勢いで祖父から受け継いだ剣を怪物に深々と突き刺した。怪物の体は真っ二つに割れ、気味の悪い悲鳴を上げてのたうちまわると、見る間に土に戻っていった。ほかに襲いかかってくる植物怪人が残っていないか、ドーンは素早くあたりを見回し確認したが、どうやら、しばらくは心配なさそうだった。ジュカ(Juka)はまだ町の中だけで暴れている。彼らがこっちまで来る気配もない。

「これはすごい!」クレイニンは化け物の死体の脇にしゃがみ込むと、組織の一部を拾い集めて、せっせとガラスの瓶に収めていった。

「それだけ喜んでもらえれば、嬉しいわ」ドーンは皮肉っぽくクレイニンに言った。「でも、それの標本が欲しいだけだったんなら、わざわざ私といっしょにユーくんだりまで来る必要はなかったわよね。それを集めるぐらい、私にもできたから」彼女は体から引き剥がすようにして鎧を脱ぎ捨てた。「それに、私一人なら、この鎧ももっと早く脱ぐことができたわ」

クレイニンは、食い入るように作業を続けながら、怪物の死体から目を離さずに言った。「ドーン、それはロイヤルナイトの鎧だ。名誉に思うべきだよ。」

「思っているわよ。ただもうちょっとその名誉の着心地がよかったらね。いつもの服ならもっとうまく戦えるわ。見た目の問題じゃないの。」

「言いたいことはわかるような気がするよ」クレイニンは彼女を見上げて白い歯を見せた。「ニスタル(Nystul)の研究室は、僕には広すぎるんだ。だけど、みんなもそれぞれ頑張ってるんだから、文句は言えないよ。僕にはニスタルの不在を埋めるという責務があるんだからね」

ドーンは剣を鞘に収めると、クレイニンの近くに横たわる倒木に腰をかけた。「不在っていえば、デュプレ(Dupre)はどうしたのよ?とても重要な任務だって言ってたじゃないの。それなら、彼が来るべきでしょう?」

「派閥の任務だよ」彼はガラス瓶を持ち上げて中身を凝視しながら答えた。「このめちゃくちゃな戦争で、彼も相当まいってるんだよ。たしかに、これはとても重要な任務だ。だからこを、キミが選ばれたんじゃないか。デュプレがキミを信頼してるっていう証拠さ」彼はドーンに微笑みかけた。「キミは天下のロイヤルナイトなんだぜ」

彼女ははにかんだ笑いを浮かべた。「つまり、細かいお役目でなら私を信頼できるってわけね?」

「ああ、ごめん。僕はここのところの……」彼は怪物の死体に目を戻した。それはもうすでに通常の腐葉土と見分けがつかないほど分解が進んでいた。「……騒動で頭がいっぱいになっちゃって。ミーア(Meer)の代表から、ここで会おうと申し出があったんだ。ものすごく重要な話があるって。たぶん、この新しい植物のお友達と関係がある事じゃないかと思うんだ」

彼らの背後に光が現れた。光は、魔法特有の振動音を発しながら次第に強くなっていった。ドーンは咄嗟に立ち上がり、素早く体を回転させると剣を構えた。光が消えると、そこにはアドラナス(Adranath)が、背後にダーシャ(Dasha)を控えて立っていた。ドーンは安心して剣を鞘に戻した。

「お若い方、見事な身のこなしね」ダーシャがドーンに微笑みかけたとき、彼女は激しく咳き込みはじめた。しかし、アドラナスが彼女の肩に手をかけると、すぐに収まった。

クレイニンが緊張した面持ちで前に歩み出て、ミーアの長老に対して頭を下げた。「アドラナス先生ですね。お会いできて光栄に存じます」

アドラナスの片方の眉がピクリと動いた。彼はクレイニンを上から下まで舐めまわすように見つめると、さっと周囲を見回した。「今日は、最長老の魔道師をお会いする約束じゃったはずだが……、長老は、どうされたかな?」

クレイニンは助けを求めるようにドーンの顔を見たが、すぐにアドラナスに視線を戻すと、こう答えた。「私が……私が長老でございます」

「その若さでかね!」アドラナスはびっくりして目を見開いた。しかし、気まずそうにしているクレイニンに気づき、言葉を繕った。「よほど特別な才能をお持ちの方とお見受けした。失礼をお許しくだされ。こちらこそ、お会いできて光栄に存ずる」彼はクレイニンの不安を取り除く意味も込めて、深々と頭を下げた。そして上体を戻したとき、必死にこらえようとした歯をくいしばったその口から、咳が漏れ出した。

クレイニンは、相手の顔色を気遣いながら訊ねた。「不躾な事を伺いますが、あなたもダーシャ様も、お体の具合がよろしくないようにお見受けします。お薬が必要なら、ここにも少しございますが」

「たぶん、薬ではどうにもならんじゃろう。ユーの近くでは病がいっそう悪くなる。長居はできぬ。しかし、どうしてもここへ来る必要があった。我々がどれほどの被害を与えたのか、この目で確かめたかったのじゃ」

「被害?」ドーンが口を挟んだ。「奇妙な植物の化け物があちこちに現れていますが、ユーの情勢には変化がないように思われます」

「わしの言う被害とは、怪物を出現させる原因となったものじゃ。申し訳ないが、それはもっと恐ろしいものを出現させる。ジュカの攻撃を止めるためには、良心に逆らって強大な破壊力をもたらす必要があったのじゃ」咳の為に再び話が途切れた。「我々の足元で、それは確実に育っている……」

「ユーの地下で何かが育っていると?」クレイニンは訊ねた。

「腐敗じゃ」アドラナスは答えた。「ミーアに古くから伝わる魔法でな、過去に我々は、種族の存亡がかかる一大事にのみ、自然の力を逆手にとるこの腐敗の術を使ってきた。そもそもこの魔法は、敵を捕らえ瞬時にして土に返すというもので、ジュカの襲撃部隊もこれによって消滅するはずじゃった。腐敗とは、自然に恐ろしい所業を強要する、実に背徳的な術なのだよ」

「それをユーにお使いになったのですか?」ドーンが聞いた。「でもジュカはピンピンしております!」

「試してはみたのだが、失敗してしまったのじゃよ。化け物が現れるまで、我々にも確信が持てなかったのじゃが、自然が……姿を変えてしまったようなのだ。長い時間をかけて、魔性の物どもが自然を汚し、己の都合のいいように、無理やり自然を作り変えてきた。そのつけがまわって、腐敗の魔法は歪曲化し、より強力に、そして恐らくはもっと悪質な方向へ変形しまったのじゃろう。それは、植物の怪物を生み出しただけにとどまらず、ミーアにも疫病をもたらした。我々が病に冒されたのは、ちょうどジュカへの攻撃準備を進めているときだった」ここでまた、アドラナスは咳の発作に襲われた。それは非常に激しく、通常の人間には正視できないほどであった。

「あなたがおっしゃるとおり、その魔法が成長を続けているのなら、あの怪物の出現は、ほんの序の口という事ですね。あなたの説明から察すると……その魔法は世界そのものに影響を与えたというわけですか?」それほど大規模な魔法が、いったい何を引き起こし得るのか、クレイニンには想像もつかなかった。「考えるだけでも恐ろしい」

ダーシャが一歩前に歩み出た。またしても始まった発作を抑えると、こう切り出した。 「本日は、ジュカに対抗する同盟のお申し出を受けるため、ここへ参りました」ドーンを見つめるその顔には、自尊心を押さえつけている様子がありありと伺えた。ダーシャは指が空を差すように、手のひら正面に向けて、片方の手を前に突き出した。しばらくしてドーンも同じように腕を突き出し、手と手を合わせた。次にどうしてよいのか戸惑っていると、ダーシャはドーンの手のひらに自分の手のひらを押し当て、指を組んでしっかりと手を握ると、ようやく腕を下ろした。このとき、2人ははじめて笑顔を交わす事ができた。

「我々の無礼をどうかお許しくだされ」アドラナスは言った。「我々のいた時代では、人間は今のあなたたちとは似ても似つかぬ存在でな、人間に援助を求めるなどという事は、とにもかくにも……初めての事で」アドラナスは、ゆっくりとユーの原野を見回した。「これから、我々があの魔法で犯した間違いを是正させてもらわなければならん」

「ほかに、その魔法の影響で考えられる事は?今よりもっと植物怪人が増えるのでしょうか?」クレイニンは訊ねた。

「何とも言えぬ」高齢のミーア人魔道師はその場にしゃがみ込み、地面に手のひらを押し当てた。「魔法がこの土地に浸透して、自然体系を変えてしまったのだ。何が起こっても不思議ではない。この下で腐敗の術が生きているのを感じる。何か手を打たぬかぎり、成長は続くだろう」

「研究室に戻りましょう」クレイニンが呪文の書に手をやりながら言った。「あなたがたの治療に関して、お力になれると思います」

「治療?」アドラナスが咳にむせながら聞き返した。

クレイニンが答えようとすると、木立の中から、ぼこぼこと泥が湧き出るような音が聞こえてきた。全員が音のするほうへ顔を向けると、巨大なものがこちらへ向かってくるのが見えた。それは肉の塊のようなもので、いびつな裂け目のような口がいくつも開き、いくつもの目玉が不規則に体全体を包んでいる。目は、見えていたかと思うと体内に引っ込み、また別の場所から現れた。土手のような体の片側からは、鹿の胴体が半分だけ奇妙な角度で突き出ている。だが、すぐにそれは体の中に吸い込まれ、骨を砕くような、湿った気持ちの悪い音が響いた。そして、あちらこちらに口が開き、前進を続けながら血まみれの骨を吐き出した。

ドーンは剣を構えたが、そのおぞましい姿を見るや、いつでも退却できる体勢に切り替えた。「いったいなんなの、あれは?」

「腐敗の新しい産物だな!ついに作用は動物にまで及んだという事だ。あれも元は普通の森の動物だったに違いない。それが魔法に侵されて変形したのだ」アドラナスは咳をこらえながらクレイニンを振り返った。「ここは逃げるが勝ちだ」

そうアドラナスが言い終わらないうちに、クレイニンはもう、ブリテイン行きのムーンゲートの呪文を唱えていた。間もなく4人は音もなく光の門を抜け、姿を消した。一方、巨大な粘液状の怪物は、そのまま町に向かって移動を続けた。
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