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我掘る、故に我あり

投稿日:2002年9月10日


全シャード
 思考は、そよ風に乗って窓から舞い込んだ羽毛のように、ゆっくりと、とりとめのない形で訪れた。やがて意識が芽生えた。だがそれは、よちよち歩きをはじめた幼子のごとく、バランスを崩してぎこちなく走り出し、すぐさま激しく転倒した。ようやく欲求不満を感じられるまでに成長した心に、それが湧き起こった。
 
 永遠とも思われる長い奮闘の末、心は、ごく原始的な秩序を持たせる事で思考を管理する事ができるようになった。原始的ではあるが、その秩序は思考を解読可能にした。すると、瞬間的な細切れの理解が爆発的に生じていった。それは完全なる思考だ。混乱の靄の中に霧散してしまう事もなく、氷のように記憶に凝固させる事ができる。新しく生まれ出る思考のすべてが、より新しく、より複雑な思考の産物へと形を変えていった。そして加速的に意識は成長し、これまでになく力強く安定し、ついには完全な結合性を有する原則が確立されるに至った。それは、あらゆる知的活動を凌駕する衝撃的な事件だった。

 この個体に自意識が芽生えた。知性が初めて自己と言う概念をとらえた瞬間だ。もう天然の本能と反射神経の寄せ集めではない。独立した実存として己を認識できるようになったのである。そして瞬く間に、可能性の宇宙が拡大していった。

 心を宿したその個体は、暗闇の中で己の手足の状態を確かめた。それはとても重要なものだ。この個体に属し、この個体の体の一部であるがゆえに、この個体に支配される。その考えは、初々しい心にとって非常に魅力的なものだった。自己認識を行った瞬間、自己は周囲の宇宙から完全に分離した。それは驚異的な感覚だった。本能に従い日常の行動をとっていた時には単なる背景に過ぎなかった世界が、今や謎と驚異を背後に隠す神秘の緞帳となったのである。

 個体は、自己以外の存在を認識しようと周囲を見回した。見たものを心に記憶できるよう、最初はゆっくりと確認していった。速過ぎては、考えがまとまらず記憶に留める事が難しくなる。それは、肢体の一本を伸ばして目の前の壁に触れた。ほんの少し土が崩れ落ちた。よく見慣れた光景だ。そして己の従属物である肢体の先端に何かが残留する感覚を覚えた。ここはよく知っている場所だ。ここは自分が住んでいる場所だ。原始的な本能が拡大し、すぐさま明確な姿となって開花した。ここは自分の故郷だ。ここは安全だ。ここには……、何かがある。何かとても重要なものが。

 背後の音に驚いて、それは素早く振り返った。生き物だと、それは確信した。静かに、そこにじっと立っている。新しい感覚が体をつき抜け、心が動揺する間、2つの個体は身じろぎせずにたたずんだ。匂いだ。懐かしい匂いだ。それは、生まれたばかりの知性の中核に直接働きかけ、記憶の爆発を引き起こした。間違いない。今現れたこの生き物は、仲間だ。友達だ。ここは、それの家だ。それは、自分に危害を及ぼすような素振りは見せず、すぐに部屋の壁と土へと注意を移した。

 あらゆる物事が新しく、矢継ぎ早に訪れた。しかし、その個体の心も急速に拡大し、すべてを吸収していった。意識はますます成長し、精密になり、それぞれに映像と匂いを伴った新しい概念を次々と生み出してゆく。これは……、気持ちがいい。一度に多くの発見ができる喜び。学び、発見する。その瞬間の楽しさは、何物にも代えがたい。

 突如、すべてが停止した。新しい匂いだ。しかし、よく知っている匂い……、とても力強い……、逆らえない。その匂いの正体は、わざわざ目で確かめるまでもなかった。この匂いに込められた意味は、体の隅々まで染み渡っている。

 リーダー……。

 これは単なる新しい知識ではなかった。もっと重大なものだった。目的のある知識。方向性のある情報だ。自分とよくにた他の個体も、それを理解したようだ。この一瞬の衝撃的な匂いがコミュニケーションをもたらし、それを感知しうるすべての意識の間に、あるものを伝えていった。指揮。命令。指示。

 この空間にいる個体は、すでに承知している事柄が事実である事を確認し合うかのように、周囲を見回した。そして彼らは行動を開始し、指揮者としてみなが認めた個体の意思の実現に専念した。目的と決意。数百の個体が同じ思考のもとにひとつになった。非常に明確で、昔から体に染み付いている思考。取り違える事などあり得ない。


 掘れ。
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